中腰で生きてる

日常の隙間から、自分をのぞいて見る

I'm here

こんばんは

 

充電切れそうなことお知らせしてきたノートパソコンの音に

本気でびびる中腰です。

 

 

先日の地震、怖かった。

本当に怖かった。

東日本大震災を思い出しました・・・。

 

1年くらい前にきた地震は2月で夜だったなとか、

今回も夜だし3月だし、いろいろな思いが胸を通り過ぎていって、

自然の前に、人は無力だと改めて感じました。

 

 

 

 

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もう3月も中旬から後半戦。

 

久しぶりのお別れに直面しています。

いつもは自分が離れていく方だったので。笑

 

寂しいものです。

そんなに深く関わったことはなくても、毎日いた人が

いなくなるということは、やはり寂しい。

仕事でお世話にもなっていたし。

がっつり関わっていたんじゃないんですけど、

やっぱり寂しいです。

 

ATフィールド全開で職場に行っている私が、

話たい人とたまたま隣になって、いろいろお互いの話をして心を開けた人とも

お別れになってしまって、本当に悲しい!!

寂しい通りこして悲しい!!

 

そして何より悲しいのが、同期の人が辞めてしまうこと・・・!!

なんてこったい・・・。

悲しいな・・・。

でも4月はやってくるし、私はその場に残ってる。

きっと4月の私がなんとかするでしょう。

 

 

こうして久しぶりに別れの季節を感じて

”さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう”を思い出しました。

寺山修司さんの詩です。

 

井伏鱒二さんの漢詩の訳の中で

”さよならだけが人生だ”という1文があって、

この訳を読んだ寺山修司さんがその訳に対して書いた詩

だったような気がするんですが記憶がうろ覚え。

 

さよならだけが人生ならば

またくる春はなんだろう

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さよならだけが人生ならば

人生なんか いりません

 

 

寺山修司さんの詩は、心が締め付けられる。

 

切なくて、ガラスみたい。

でもぎゅっとつかんだら壊れそうで。

透明で、やわらかくて、シャボン玉みたいに繊細。

 

いろんな感覚が刺激される。

 

 

前にも書いたかもしれませんが、

初めて寺山修司さんを知った時に衝撃を受け、

それから私は寺山修司さんが大好き!!

尊敬する人です!!!!

 

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花に嵐のたとえもあるぞ

さよならだけが人生だ

 

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さよならだけが人生ならば

また来る春はなんだろう

 

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散弁詩

 

寂しさ心に残したならば

また来た春に想いましょう

 

さよならだけが人生ならば

散った花にあなたを浮かべましょう

 

あなたにとって私も

散った花となったことでしょう

 

咲いて散った花たちは

また来る春に咲くのだから

はじめましてが人生ならば

さよならだって人生だ

 

 

なーんて詩を書いてみました。

 

春ですねー。

ハルウララですねー。

これは競馬ですねー。

 

ちなみに寺山修司さんは競馬の解説もされてました!!

 

 

私は今日もここにいます。

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。