中腰で生きてる

日常の隙間から、自分をのぞいて見る

続・絶望はどこですか

こんばんは。

箸にも棒にも掛からぬが傘には引っ掛かった中腰です。

 

今日焼きそば作ってて思いました。

やっぱ勝手に自分一人で思ってるだけなんじゃないかって。

自分はダメだとか、こうだからダメだとか。

だってね、私は見た目がコンプレックスなんです。

小さい時からデブって何回も言われてきたし、力なくて空デブって言われたり、

太っててみっともないと言われたり。

多感な時期には朝青龍系じゃね?って言われたり。

そうやって体型を揶揄され続けてきたわけです。

そうなれば自ずと人に心を閉ざすようになります。

 

そしてだんだんと、自然と自然と刷り込まれていくのです。

 

太い=ダメって。

 

特に、自分が望んでることに対しては顕著に現れます。

 

太ってるから歌手になれない。

太ってるから彼氏ができない。

太ってるから何しても無駄。

 

はい!はい!はーいっ!ってな感じで。

無駄だよダメだよ何してもって。

 

私の敵は私☆

今でも言われれば傷つくし、慣れることもないです決して。

でも今は言い返せるからね、頓智聞かせて。

野菜はいいなー太ると褒められて、とかね。

でもそう言った後に虚しくもなります。

 

思い出すたび、クソ!そんなことで今までの時間無駄にしてきたって、

腸が煮えくり返る思いがする。

でもそれを認めたくなくて、認めたらなんか自分がダメになる気がして。

悔しくて悔しくてたまらなくなるから。

できたかもしれないって、可能性を無駄にしてきたから。

太ってることを隠れ蓑にしていたことが分かってしまうから。

 

アドラー心理学の嫌われる勇気の中の

「赤面症の人は赤面症を必要としている」という一文に、

は??そんなわけないでしょ?それで困ってるのに!!って

怒りにも似た反感の気持ちが沸き上がった。

きっとこの太ってることが私には必要だったということに、心の奥で

気づいたからかもしれない。

 

歌手になれない理由が必要だった。

彼氏ができない理由が必要だった。

目に見る形で、自他ともにわかる形で。

 

でもよくよくよーーーく考えると、

自分ができないと決めつけてる理由って捨てようと思えば捨てられる。

って気づきました。

それができなくて今現在NOWなのですがてへぺろ

 

思うように楽器できなくても作曲できなくても歌詞かけなくても、

声がある。

取るに足らない理由で自分を見捨ててしまうな。

 

 

そして今日、マッチングアプリの体型のところを、

普通からややぽっちゃりに変えました。

太めもありましたが、太めというほど今は太くない!!

普通にしてると、自分で自分のこと否定してる気がして。

自分が体型に支配されたままでは、彼氏ができたって

また体型に支配されるぞと。

結局、太ってるから彼氏できないの理由を自分で証明してるぞと。

あとね、なんか嘘ついてるようで嫌だった。それが1番です。

でね?ぽっちゃりってしたらいいね来なくなると思ってました。

本気でだよ本気で。

人の刷り込みって怖いかんねほんと。

 

でも、そんなことなかった。

太ってることが男性に興味持たれない原因だと思ってたけど、

そうじゃなかった。

もうこの理由は通用しないと証明された。

 

太い=男性から興味持たれない

 

は、本日付で理由として力を持たなくなりました。

 

恐怖は人を停滞させるし、時間を止める。

今は環境も違うし、人間関係も変わる。

自分の世界が全てだけど、それが全ての世界じゃない。

 

自分の世界をすべての世界だと決めつけないことが大事だ。

 

これからの私に必要なことは、自分の世界を壊すこと。

そしてまた新しく世界を作ること。

 

絶望してもいいから希望を忘れない。

 

そして勝手に絶望しない。笑

 

 

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。