中腰で生きてる

日常の隙間から、自分をのぞいて見る

頭も断捨離を

こんばんは。

 

もう冬が本気出してきそうで震えてる中腰です。

 

無事に、派遣での就業が決まりました。嬉しい。

 

2か月ぶりの社会。笑

 

気負わずやろう私。

 

 

 

題名はですね~、まんまです。

部屋の断捨離って、これいらなーいって袋に入れて、

ゴミの日に出してしまえば無くなるでしょ?

だからいいのよ。

 

でも、頭の中って断捨離出来てない。

自分の決定する基準とか、無意識の恐怖とか、

そういうのがいつまでも取れなくて、

過去の出来事に囚われたまま、

今を生きてる。

 

だからさ、頭の中を断捨離したいって思う。

こう思ってたけど、今はもうこう思いたくないからー

いらない!!って。

あーあ、頭のごみの日って出来ないだろうか。笑

 

こうなればいい、ああなればいいって思うのに、

いざ手に入ると驚きの方が大きくて止まる。

戸惑ってる。

そういうこともある。

 

 

加藤諦三さんの本を読みあさっていた時、

 

cyugoshilife.hatenablog.jp

他にも斎藤学さんという方の本や、

イルセ・サン さんという方の本も読んだ。

 

はじめはイルセ・サン さんが書いた

鈍感な世界に生きる敏感な人たち だ。

 

 

私は、3年前に恐怖に落ちた。

止まらない恐怖。

まるでドミノ倒し。

ドミノは倒れる速度をどんどん上げていく。

止めたところで追いつかない。

止めたいと思っても止められない。

どこまでも果てしなく倒れていくドミノ。

 

おかしいと思いながら日々生活してた。

ご飯も食べられない。

眠れない。

全部のことが自分のせいに思えてくる。

そうじゃないことに対しても。

自分のせいかもしれないという思いが浮かんできて、

それをそうじゃないと肯定するものを探す。

でも肯定しても肯定しても、また嫌な考えが浮かんでくる。

それに囚われていく。

 

湧き出る泉を、素手で止めようとしてるみたい。

手のひらは常に、湧き出る泉の力を感じてる。

 

そんな自分と闘ってた。

でも、私はすぐにいろんなことを調べるから、

自分の今の現状をスマホで調べた。

「私は、強迫性障害という病気かもしれない」

自分の現状が同じだったから。

でも、認めたくなかった。

自分の性格を症状にして、自分から逃げてるとか、

仕事もしてるのに、病気なわけがない。

自分はずるい人間だ、とか。

そんなことが頭をぐるぐるめぐってたから。

そして、病院に行くのが怖かった。

あと、身近な人が鬱になったところを見ていたから、

自分は違うぞ、そんなにひどくない。

病院に行くなんて甘えてるってずっと思ってた。

 

 

そんな様になってから、1、2か月が過ぎた。

ある日、ずっと一緒に仕事をしてる人にこう言われた。

「いつもの顔じゃないから、病院に行ったほうがいいよ」

 

ーやっと救われるー

 

そう思った。

 

人からも分かるくらい私はヤバいのか。

じゃあ病院に行ける。

 

なぜ自分の苦しみを、人の判断で決めるんだ??

 

人に従うこと。

これは生きていくうえで、人とぶつからない波風立てない良い方法だ。

でも、それが適用されるところとされないところがある。

 

私は1つのことをずっと持ち続けるタイプだ。

昨日言ってることと、今日言ってることが違うこと。

これが大っ嫌いだった。

だから、自分で一貫性のある人間でいたいとずっと思ってきた。

でも、違う時もあるのが事実。

でも、これじゃ大っ嫌いなのと一緒じゃないか!!と頑なだった。

違う時がある自分も嫌いだった。

これだ!!って思うものが欲しかった。

見つけたかった。

人生のルールみたいな。

 

だから、固執した。

 

野球のルールで、サッカーしてるようなものだ。

それくらい無謀なことを、当たり前だと思った。

 

自分の限界を知らないことや、

自分の意思決定の良し悪しを、人にゆだねること。

これは人生を捨ててることと同じだと今は思う。

 

 

病院に行った。

先生には「強迫観念」と言われた。

 

私の強迫観念は、過去の出来事の確認をしてしまう。

過去の出来事に対して、自分が何か悪いことしたんじゃないかと考えだし、

私はしてないということを証明する証拠を頭の中で確認しようとする。

これはほんとに苦しい。

自分の記憶なんだからわかるだろ!!とか自分に思う。

何年も前のことなんて全て覚えてるわけないのに。

自分で自分が嫌いになる。

ホントに苦しい。苦しいというか、辛い。

分からないことを分かれと言ってくるから、自分が。

 

私の強迫観念はこんな感じ。

でも、これやったらこうなるんじゃないかという過度の恐怖で、

踏み出せないこともある。

 

仕事も怖くなる。料理も怖くなる。人も怖くなる。

全部怖くなる。

 

傍目にはわからない。

でも普通の顔して苦しい人、苦しんでる人はいる。

 

そして、強迫観念を調べてるうちに、本に出会った。

 

HSPという気質を持った人がいるということ

チェックしてみると、私はほぼ当てはまっていた。

なんでこんな風に思うんだとか、

自分が苦しく感じてることは、みんなは感じないんだから

私は変なんだって思ってたけど、

自分の気質なんだと知った。

 

それでも、全てを受け止めることはまだまだ難しいけどね♪

 

 

なんか勢いにまかせていろいろ殴り書きみたいになってしまった。笑

でもすっきりしてるからいいか。

今も恐怖を行ったり来たりする。

これが治ったらやろうとか思ってるけど、

待ってるだけでは人生は短すぎる。

そうだ、人生は長いようで短い。

今思ったけど、1つだけより、2つで1つってこと沢山あるな。

両極にあるけど

両極にあるから1つだ、みたいな。

 

もっと柔らかさが必要だ、

そして新しい価値観を入れる場所が必要だ。

だから頭に断捨離を。

 

 

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。